「通っていた学校の校舎」所 敦子物語 その2

(2018年03月27日)

私は3歳から20歳までの18年間を自由学園という一貫教育の学校で育ちました。

自由学園については全く知らないという方が大半で、逆に知っている方は稀だと思います。

父方の祖母が創立者(羽仁もと子)の思想に感銘を受け、母が共感し子供をその環境で育てたいとの思いだったのだと思います。

 

学校の話は長くなるので割愛します。

 

自由学園をご存知の方はおそらくフランク・ロイド・ライトの建築繋がりではないかと思います。

創立当初の校舎は現在の「自由学園明日館」ですが開校10年後には生徒数が増え、東久留米市に移転、明日館の設計にも関わった、ライトの弟子、遠藤新が新校舎を設計しました。

教室、講堂、ホールなどその全てが木造建築で、ライトが好んだ大谷石が建物にも校庭にも使われました。

生徒にとっては、その校舎も校庭も日常的な場所でした。

 

今でこそ誇るべき建築だと思いますが、暮らしている当時は決してそればかりではありませんでした。

広いキャンパスは生徒達も手入れをしていたのですが(教育の一環として)教室の無垢の床材はほうきで履いて、毎日のようにワックス掛け、校庭の草取り、落ち葉掃き、花壇の手入れ、それはそれは沢山の作業がありました。

それらは楽しみでしたが(嫌いでサボる子ももちろんいました。苦笑)手間のかかることでした。

 

そして木造校舎に断熱材は入っていなかったのでしょう。

(卒業して何十年も経つ現在の暖房設備が整ったとは思います。)

学校の冬はとても寒かったのです。

 

現在の東久留米市の校舎です。

 

女子部の食堂の建物です。